久しぶりの映画になりました。二宮和也さんと波瑠さんが演じる映画アナログ観てきました。
伏線が多く散りばめられて考えながら見る作品も良いですが、この映画は二人のつながりを演じる細かい表情が多く見られてとてものめり込める温かい映画でした。
人を好きになること、人を愛すること、幸せに生きることを見ることのできる作品でした。
幸せの形は人それぞれですが、それを一緒に歩んでいけるひとがいるなら、とても幸運なことだし、周りの人を大切に生きていきたいと改めて感じました。
4月の横浜スタジアムのひな誕祭以来のライブでした。
なぜかふと今までを振り返ってしまいました。2016年に初めて乃木坂のライブを観に行ってからもう7年経つのだと驚きを大きく感じました。
アイドルのキラキラと輝く姿、ペンライトで描かれる美しい客席、楽曲の盛り上がり、前向きさや葛藤を表現する歌詞、、。
そしてライブ後の余韻、寂しさ、夜の空気感、、。
ずっと変わらない、青春が続いているようなかんじ。だからこそライブに行きたくなる、応援したくなるのかもしれません。
応援することは、生き甲斐になる。それはアイドルでもスポーツ選手でも、家族でも友達でも。お互いがいるから頑張れる関係が頑張るコツなのかもしれない。自分のその居場所を見つけ続けるのが人生なのでしょうか。
応援することもされることも幸せになるし、そういう関係を作れるなら、結婚してもしなくても良いと思う。責任が増えると大変なことがその分増えるけど楽しいことも増える。
ライブは4期生が出てきたし、1〜3期生もパフォーマンスに磨きが掛かってて、これからも応援していきたいと思いました。これから先も楽しみです。
ムビチケを4月に買ってから中々観に行けず、8月になってやっと観にいけました。公開から約4ヶ月になるのですが、ほぼ満席でした。
内容としては今までのゲームの雰囲気を感じられて、子どもから大人まで楽しめる映画でした。
「自分なんか」と思ってた二人が力を合わせてクッパと戦う物語です。一歩踏み出す勇気をもらえる作品でした。
映像の綺麗さや物語の進み方もスムーズで、これだけ長い間上映されているのだと思います。また第二弾があれば観に行きたいです。
7月に二泊三日の北海道旅行に行ってきました。目的は富良野のラベンダー畑を見にいくこと。
大学時代は色んなところに行きたいと思って行程を詰め詰めにしていましたが、今は目的地を決めるだけになりました。体力が減った?からなのか、、、。ハードな旅行は疲れるので今までの経験も活きてるのかもしれないです。
無事にラベンダー畑を見ることができました。見終わった後ザーザー雨が降ってきたので、運が良かったです。
4年ぶりの札幌富良野でしたが、昔より外国人観光客が増えたように思います。それだけ日本の良さが世界に認められてるということですし、JR北海道の経営は厳しいと言われていますが、頑張ってほしいと願うばかりです。
10年近く旅行していていつも思うのが、周りが見えてない人が多いということ。特に日本人の女性に多く見られます。外国の方々は周りを見てサクサク歩いて楽しんでいるのに、日本人の女性は道端に広がって道を塞いだり、大きな声でぺちゃくちゃ喋ったり、、、。
今回の旅行ではないですが、歩道を塞いでいる中年女性たちがいて、車道に出て避けようとして、車を通るのを待ったら、「何か言え」と言ってきたり、とても嫌な気分になりました。通らせてくださいと言えば良かったのでしょうか。
今の世の中、『多様性』とか、『自分らしく』とか言われる時代ですが、これらと『自分勝手』を履き違えてる人が多いのではないでしょうか。これは男性女性関係ないかもしれませんが。
自分らしく生きる世の中とは、自分も他人も自分の気持ちに素直に生きること。周りへの尊重なくしてみんなが自分らしく生きることはできないと思います。
他人がいるから自分が存在してる、そのことを一人一人が思いながら尊重しあいながら生きていける世の中になってほしいと願っています。
森七菜さんと奥平大兼さん主演の映画。
自身の青春を思い出すような作品でした。
高校生は大人と子どもの狭間にいて、やりたいことがあっても、保護者の同意も必要だし、周りのサポートがないとできない。今思うと周りの人に支えられて今まで生きてこれたのだと改めて感じさせられました。
そして、子どもは子どもなりの悩みがあって、意外と親や周りの人に気を遣って生きている。周りの人のサポートがないと生きていけないから。そんな悩みの中で、自分のやりたいことをやろうとする姿は青春だなと懐かしくなりました。
作中で、「人は死んでも存在してる。生きた証が関わった人の頭の中で生きてる」みたいなシーンと、「6000年の時の中で自分の人生なんか一瞬」「言ったことは覚えていないけど、言われたことは覚えている」と言ってるシーンがありました。
自分という存在はちっぽけで、生きていようが死んでいても世界は何も変わらないかもしれない。でも、周りの人がいるから自分は生きていけるし、そんな自分と周りの人を大切にして、自分の人生を生きていきたいと思いました。
高校生のときはまだまだ人生経験が浅いし、視野が狭くなりがちだけど、高校生のときにそのことに気づけたのは羨ましいと思いました。
高校生の純粋なシーンもありつつ、難しい家庭環境などもあり、色々なことを考えさせられる映画でした。森七菜さんも奥平大兼さんも演技が自然で、またお二人の作品を観てみたいと思いました。
今の時代はスマホなどで情報を簡単に手に入れることができる。例えば、ある場所に行きたかったら、その場所を検索すれば最短時間で行ける行き方が勝手に一番上に出てくる。
昭和の時代の調べる方法は、本や新聞を読むか、人に聞くか、テレビで見るしかなかった。行き方を調べるには時刻表を買って、それを見て自分で経路を作る。かなり手間がかかる。
今とひと昔を比べるとかなり早く情報を手に入れられるようになった。
情報を探す時代から、情報を活用する時代になったとも言えるのかもしれない。
だけど、情報を簡単に手に入れることができるからこそ、生き急いでいる人が増えたような気がする。自分は人生そんな長く生きていないが、ガラケーより前の時代より生きづらい世の中になったような気がする。視野が狭い人が増えたと思います。
例えば、狭い道を真ん中歩いていて遅い人が前にいて抜かすときに舌打ちして抜かす人。抜かす人にとっては、遅い人は端を歩くべきという『情報』つまり『答え•常識』があるのに、それを守らない人はクソだ、みたいな感覚なのだろう。歩くのが遅い人は体調が悪いのかもしれないし、急がないといけないくらいギリギリなスケジュールを組んだ人も悪いのではないのか。実際そこで抜かしても抜かさなくても大して着く時間に大差ないはずだし。
今までの話をまとめると、
情報(答えや常識とされるもの)が簡単に手に入るようになった。
→簡単に効率的に生きることができるようになった
→スケジュールがギリギリになる
→常に急いで生きるようになる
→周りの人のことは考えず自分勝手になる
という流れで今の時代は生きづらく、みんな何かに追われながらバチバチしながら生きているのだと思う。
その何かとは『自分の理想』だと思う。効率的に生きたいという理想。
でもそういう人には自分はなりたくない。
幸せな人生は、その時その時の今に集中して今を味わって生きることだと思うから。
今の人は何もしない時間を作るべきだと思う。
隙間がないと余裕がなくなるし、今に集中する余裕がなくなる。つまり幸せな生き方じゃなくなる。
だからこそ、仕事で残業しないで早めに家に帰って、ゆっくりコーヒーを飲む時間を作ったり、帰り道で空を眺めたりする時間、スマホを見ない時間が人生を豊かにする、そんな時間を大切にみんな生きてほしい。
みんな時間に追われて、人にイライラをぶつけて、他人にイライラを伝染させて、そのイライラが他の人に伝染して、、、。まるでここ数年流行っているコロナのよう、、、。
自分は時間にも心にも余裕を持って、今を楽しんで自分の機嫌を取りつつ、幸せな人生を過ごしていきたい。そして、伝染させられそうになったイライラ菌?のようなものは自分で受け止めて他の人に伝染させないように生きていこうと思います。